国際親善名誉市民の優しい作曲家

エドワード・ケネディ・デューク・エリントンは、アメリカ合衆国に生まれ、幼い頃から公爵の様な気品溢れる振る舞いと、きちんとした身だしなみから、親友から公爵の意味にあたる「デューク」と呼ばれていました。

そのあだ名にふさわしく、父親は著名な白人医師ミドルトン・カスバートの執事で、恵まれた環境の中、小学生の頃からピアノを習い始め、音楽との運命的な出会いを果たします。
後に「20世紀最大のジャズ・ポピュラー界の音楽家」と言われるきっかけとなりました。

同時期には高度な作曲理論を取得しピアニストデビューを果たします。
その後ニューヨークに進出し、1930年代から第二次世界大戦後にかけてめざましい活躍をしました。

「A列車で行こう」は、日本でも美空ひばりさんがカバーするなど、音楽史に残る様々な作品を世に出しました。
グラミー賞を9回も受賞している音楽家エリントンには、もう1つの顔がありました。

1964年新潟市で新潟地震が発生した際に、日本公演を行っていたエリントン。
地震の被害を知り、心を痛めたエリントンは、次に予定されていたハワイ公演を取り消し、震災の募金を募るため、東京厚生年金会館にてコンサートを開催しました。

その96万円を新潟市に贈りました。
再来日した際、新潟市により国際親善名誉市民の称号が贈られました。

エリントンが75歳で亡くなった後も、エリントンが立ち上げたオーケストラは演奏をし続け、エリントンの音楽と、人を想う優しさは語り継がれています。
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