ペギー・リーを名乗り始めたきっかけ

ペギー・リー(本名ノーマ・デロリス・エグストローム)は1920年5月26日ノースダコタ州ジェームズタウンに生まれました。
7人兄妹の末っ子でしたが、母が亡くなり継母から大変辛く当たられ失意の中で過ごしていました。

そんな彼女を救っていたのがラジオから流れる音楽でした。
やがて、本格的に歌手活動をしてすぐに、自身もラジオで活躍するきっかけになりました。

ノーマは仕事を選ばず、どんなわずかな給料でも精力的に働き、時にはウェイトレスもこなしました。
この頃、ラジオのパーソナリティーケン・ケネディにより「ペギー・リー」としての名乗り始めました。

継母の仕打ちから逃れるように17歳でロサンゼルスへ移り住みました。
ペギー・リーとしての活動は凄まじく、1942年初の1位を獲得した「誰かが邪魔した」を始め、その後も100万枚のヒットを出し映画にも出演を果たしました。

私生活も順調で、グッドマン楽団のギタリストのデイウ”・バーバーと結婚し、一女を儲けました。
一旦音楽活動を休止し、育児に専念しましたが、すぐに復帰し数々のヒット曲を世に排出します。

1948年には「マニャーナ」で年間売り上げ第一位のスマッシュヒットを記録し、音楽番組の司会をするなど順調に過ごしていました。
しかしヒット曲も数々共同制作していたデイウ”と離婚。

一旦キャピトル・レコードを離れますが、7年後復帰してからも、ヒットソングをリリースし、この頃出した「Is That All There Is?」でグラミー賞の最優秀女性ポップボーカル賞を受賞しました。1995年にはこの曲で、グラミー生涯成績賞を受賞。

ペギーのマルチな才能は音楽だけにはとどまらず、女優として映画にも出演。1955年には「皆殺しのトランペット」でアルコール中毒の歌手を熱演、演技でもアカデミー賞にノミネートされました。
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